今回は、グスタフクリムトという画家と、それを生んだ世紀末ウィーンについてお話ししていきたいと思います。

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クリムト3つの時代

グスタフクリムトは、19世紀末にオーストリアの首都ウィーンで活躍した画家です。「接吻」という作品に代表されるように「エロくて金ぴか」というイメージのある画家かと思います。ただ、もちろんそれだけではないので、クリムトの作品を大きく3つの時代に分けてご説明していきたいと思います。

初期

まず彼の初期作品。彼は最初から金ピカの絵でデビューしたわけではありません。最初はザ・伝統といった感じの絵で有名になります。デッサンの名手と呼ばれ、写実的な絵を描き成功を収めていました。公共の建物の壁画を描いたりします。

中期

そして中期は、初期のお堅い芸術とは決別して独自の道を歩みます。彼の代表作である接吻やアデーレなど、金箔を使った作品が有名ですね。人物以外は装飾的で遠近感がなく、絵画というよりも、工芸品に近いと言われています。

後期

後期は、金の装飾を止め、色鮮やかでたくさんの柄を重ねたような華やかな絵画が生まれます。また、たくさんの風景画も残しています。

と、非常にざっくり分けるとこうなります。

違う頃の作品を並べるとパッと見全く違う人が描いているように見えるかもしれませんが、初期の写実性は中期後期の人物に活かされていますし、中期で花開く装飾性も若干初期の服装や額縁に現れていたり、後期の柄もその応用だったりと、変化していく中でも繋がりが見えてくるかと思います。

クリムト作品3つの特徴

クリムト作品の特徴は、「官能的」「退廃的」「精神的」のワードに凝縮されていると私は思っています。

官能的

「官能的」というのは、クリムトはまず女性ばかりを描きました。表情も恍惚としていて、女性性を前面に出しています。カクカクした絵ではなく、曲線を多用しているところも女性らしいですね。実際クリムトは本当に女性が大好きで、一度にたくさんの裸のモデルを家に置き、時にはエッチなこともしつつ絵を描いていました。フリーセックスのハーレム状態だったと言います。結婚はしませんでしたが14人子供がいたというのは有名なエピソードです。とにかくエロい。これが1点目。

退廃的

次は「退廃的」というワードです。退廃的、って実感湧かないですよね。死の気配、背徳的、不安や苦悩など、いろんな言葉で表現されてますが、ネガティブな感じと捉えていただければいいのかなと。そしてこれはクリムトだけの特徴ではなく、19世紀末に流行った雰囲気です。世の中が急激に近代化して、農業から工業!大量生産!お金万歳!となり華やかな時代が訪れる一方で、この輝きって一瞬じゃない?すぐ散るでしょ?的な思想が流行るんですね。月曜日を想像すると嫌だから日曜日の時点で憂鬱になっちゃう…みたいなアレです。実際この後世界大戦の暗い時代へと向かっていくのでその予感は間違ってはいません。そして生き生きとしたものよりも死を連想させるようなほの暗い空気を慈しむようになりました。

精神的

そして、「精神的」な絵です。これは私がしっくりくる言葉だから使ってるんですが、絵画の分類では象徴主義と言います。これまでの絵画では、初期のクリムト作品にも見られるように目に見えるものを描いていたんですね。それを、例えば不安・運命・希望など、形には表せないものを象徴して描くようになります。これが象徴主義です。先ほど説明した退廃的な絵が流行った背景とリンクしています。クリムトは主に女性を描いているので形のあるものですが、絵画全体で表しているのは形のない概念でした。抽象画を具象で描いたって感じですね。

椎名林檎じゃん

で、この官能的・退廃的・精神的というワード。私はここから連想するのは『椎名林檎』なんですよね~~~~。クリムトっていいの?って聞かれたら椎名林檎好き?って絶対言います。エッチなのはもちろん、ご本人は華やかなのに曲は暗さがあったり、内面を抉るような歌詞だったりするじゃないですか。絶対椎名林檎好きな人はクリムト好きだと思います。

影響を与えた要素

次に、クリムト作品に影響を与えたいろんな要素をご説明していきたいと思います。文化や人や技術なんかの要素を、作品に取り入れていくそのセンスが素晴らしい画家なんですね。影響を受けたら自分のものにできちゃうという。合わせの天才だと思います。これが頭に入っていると鑑賞がぐっと深くなるかと思います。

エジプト美術

クリムトの初期の仕事に、美術館で古代エジプトを表す壁画を描くものがあります。そこから始まり、三角の模様や目のマークなどで取り入れています。

日本美術

当時ジャポニズムと呼ばれる日本ブームで、クリムトも甲冑を持っているなど日本ファンでした。金箔も琳派の影響があったのではと言われています。後半の柄を重ねた表現は日本の着物に影響を受けているとも言われます。

ビザンティン美術

黄金モザイクはビザンティン美術からも影響を受けました。旅行で見て感銘を受けたそうです。ビザンティン美術は、本場はイタリアですがイメージしにくいと思うので、今で言うギリシャやトルコやそのあたりの文化に近いと思った方がいいかもしれません。ザ・ヨーロッパというイメージとは別で、東の文化と思ってください。(サンヴィターレ聖堂のモザイク装飾がストックレ―邸の壁画に影響)

金の技術

ルーツは、父親が彫金師でありその技術を使って金を貼ってます。

ファッション

最愛の恋人、エミーリエフレーゲがファッション関連の女性実業家でした。新しい時代の女性を象徴するようなドレスを貴婦人たちは求め、そしてそれを着せて肖像画を描きました。

建築

当時最も有名であったオットーワーグナーという建築家がいます。彼のような建築畑の人間もクリムトの元に集まり、建築や家具などに芸術を反映させていく「総合芸術」という考え方を実現していこうとします。クリムトはストックレー邸の壁画を担当しました。

心理学

心理学というか精神科というか、クリムトと同時代に誕生したのがフロイトという精神学者です。直接交流があったわけではないですが、この頃まで精神医学というものはなかったんですね。それをフロイトが『心を分析する』という行為をやってのけ、世間は大きな影響を受けました。クリムトの絵に見える精神性もそのムーブメントにのっとっているのかなと思います。

などなど、クリムトの経歴や出会った人々を紐解いていくとクリムト作品のルーツが辿れます。全部を取り入れて吸収して、センス抜群の絵を組み立てていったのがクリムトなのかなーと。これらの要素がですね、この絵は日本から影響受けてるのかな?とか、前衛的なドレスだなーとか、鑑賞する上での引っかかりになったらいいなあと思います。

クリムトが活躍した時代背景

そして、クリムトが活躍した当時はどんな時代だったのか?というちょっと入り組んだ話をしていきたいと思います。時代背景がわかると、クリムトがどんな気持ちでこの絵を描いたのかとか、見る人はどう思って見てたのかとか、より深く理解できるのかなと思います。

時は19世紀末のウィーンです。『世紀末ウィーン』と呼ばれる時代で、美術の他にも音楽や建築など、文化が爆発的に発展した時代でした。美術はクリムトが代表的ですがエゴンシーレやオスカーココシュカなんかもいます。音楽で言うとブラームスやマーラーなんか聞いたことある方もいるんじゃないでしょうか。

帝国崩壊寸前

で、なぜこの時代に文化が花開いたかというと、600年以上続いた王朝である『ハプスブルク家』が倒れる寸前だったことが原因です。誰?って感じの方は、ヨーロッパの大部分や南米も統治していたすごい家だったんだなーと思っていただければ。マリーアントワネットが出た家系で、その家のお膝元がウィーンです。で、そんなバカでかい帝国が、崩れる!となりました。

崩れる!崩れる!!ってなったら大混乱になります。600年より全然短いですが、日本でも200年以上続いた江戸幕府が倒れる時の江戸は大混乱でしたよね。日本の場合はそこから明治になり政治も文化もじゃんじゃん西洋化しよう!となるわけですが、ウィーンの場合、文化が強化されました。ここの理由は長くなるので最後におまけとしてお話しします!とにかく大帝国が没落する寸前、パワーを文化に全振りしてめちゃくちゃ発展したと。

リングシュトラーセ時代

具体的には、リングシュトラーセという環状道路が建設され、その周りに歌劇場・美術館・博物館・劇場といった公共の建物や、ブルジョア達のための豪華な建物がバシバシ建てられました。(この辺も明治の文明開化に似てるっちゃ似てますね)今ウィーン観光に行ってもここが中心になっているはずです。そしてその建物に壁画を描くため、画家の仕事もたくさんあった。これが初期のクリムト作品です。内装壁画や天井画の仕事を行っていて、皇帝から勲章(勲位)を貰ったりしました。若くして成功した理由にはこういった背景があります。

この頃のウィーン貴族は、毎日舞踏会!って感じでものすごく優雅だったと言います。そして文化人はカフェに入り浸り美術や音楽、建築について語り合いました。でも常に「この国はもう終わるんだなあ」という悲壮感が抜けない。その空気感が、序盤でご説明したクリムトの『退廃的』だったり『精神的』だったりする表現に繋がっていきます。退廃的な表現は産業革命後の華やかさの反動で流行ったと言いましたが、原理は同じですね。ウィーンの場合はそこに「マジで終わる」という実感がより濃かったという感じです。

クリムトの人物像を考察

最後に、クリムトという人間自身についての考察お話ししたいと思います。

クリムトが女好きでセンスの天才というところは皆知っていることなんですが、実は「どんな気持ちでこの作品を描きました」とか「この頃の俺はこんなことを考えていました」というような説明だったり自伝がクリムトにはありません。クリムトは自画像も描きませんでした。そのため人物像について考えても憶測でしかなく、作品を見てもクリムトという人物自体が見えてこないという現象が起きています。なのでこれはあくまで私個人的な考察と思って聞いていただければと思います。

画壇から分離したクリムト

まずクリムトは初期にお堅い作品を作っていたけど、そこから独自の絵画を描くようになってお堅い人たちからは批判を受けます。エロすぎるとかそういう感じで。そして元の団体から分離するという意味で分離派という団体を立ち上げて金ぴか絵に代表されるクリムトらしい作品に着手していくことになるんですが、これがすごく歴史的に画期的だったかというとそうではないのかなと思います。

まずウィーンのこの『お堅い空気』が世界的には古すぎる。だから滅びていくんですが、フランスではもうモネやルノワールが印象派をやっていてゴッホはクリムトとほぼ同時期の画家ですから、どんどん新しい作風の波が来ているのにウィーンの人々はそれを受け入れられなかったんですね。600年続いた帝国ですから、そういう部分があるんだと思います。そこで新しい絵画をやろうとするのは時代の動きとして当然の流れなのかなと思います。

そして、画壇から分離したぐらいだからクリムトはめちゃくちゃ破天荒で尖った人だったかと言うと、そうではないように感じます。結局最後までブルジョワの肖像画を描いているからです。

どんなにスタイルが革新的でも、注文する人は終わりゆく帝国で毎日舞踏会をしている貴婦人たちなんですね。そのおかげでお金にも困らず素晴らしい作品が産みだせているわけですが、分離派と言いつつ「世間に対してモノ申す!」みたいなイメージはちょっと違うのかなと。どちらかというと当時のブルジョワと同じように、ちょっと楽天的で自由を愛していただけだったのかなあと思います。そう思ってクリムト作品を見ると、官能性の中に優雅さというか格調高い緩やかさを感じるような気がします。

おわり!

おまけ①世紀末に文化が発展した理由

クリムトや美術の話と関係ないんですが、「国が終わるから文化が発展した」ってなんでやねん!ってところをお話ししていきたいと思います。このあたりってウィキペディアとかで調べてもですね、「人々の関心が政治面ではなく文化面に向かった」ってあるんですが、いやそれがなんでなの?って思うじゃないですか。

理由は2つあるのかなと思います。1つは、マジでもう帝国が終わってるから政治なんか考えたってもうどうしようもないよね?ヤケだわ!踊ろ!!って感じです。課題山積みだから部屋の掃除しちゃうみたいな。どっちかっていうとこういう風に解釈してる人が多いように感じます。実際ハプスブルク家が凄かったって言ったって突然滅びるはずはないので、徐々に徐々に、戦争で負け続けたり、どんどん違う勢力が台頭したり、政策がことごとく裏目に出たりで「もう嫌!もう政治なんて全部だめ!」ってなるのも頷けます。それで関心が文化に向いたと。

で、2つめなんですけど、国がそういう風に仕向けたというか、ナショナリズムを掲げるためだったのかなと思います。この頃ヨーロッパ中で、「国民は団結して国を作ってこう!」というナショナリズムが流行りました。それまでは、キリスト教で団結!イスラム教追い出せ!とかの団結の仕方だった。その次は王様がめちゃくちゃ強くて、王様の強さに集約されてたんですね。でもそれが革命で倒れて、「国民第一」の国造りをするようになります。その上で重要なのは「国民の共通意識」なんですね。日本人だから仲間とかそういう感じです。宗教が同じだからという団結よりも、国が同じだからという団結の方が強くなっていった時代なんです。

そんな中、オーストリアは本当に本当に不利な国でした。なぜならいろんな民族やいろんな文化の人間が暮らしている国だからなんです。インドとかもそうなんですが、多民族の国は一致団結するのが本当に難しいんですよ。1つのもとに集まれないんです。たまたま席が隣だっただけでこんなやつとは仲良くできませーん!ってなっちゃう。オーストリアには10以上の民族がいます。宗教や民族ってただの肩書じゃないので、同じだったら何がいいかって「文化が同じ」だからなんです。日本人でよく言われることですが皆と同じように初詣に行き、キリスト教式の結婚式に行き、死んだらお寺のお世話になる。それが日本の宗教であり民族であり文化です。

なので、この頃オーストリアは「皆同じ文化を共有しよう」と思ったんだと思います。同じ文化を愛す国民だよという意識を植え付けて、ナショナリズムを掲げようとしたと。だって理由の1で言ったように、国民がどんなにヤケになって文化ばんざーい!ってなったとしてもリングシュトラーセで公共の建物バンバン建てたのは政府ですから。国自体がやはり文化面に振り切っていて、その理由は文化のもとに一致団結させて国を強くしようと思ったからなんですね。これは失敗して帝国は滅び、第一次世界大戦の火ぶたを切る役目をすることになるわけです。

おまけ②クリムトと太宰治『斜陽』

まだあんの?って感じですが、もう1つおまけです!

クリムトをもっと楽しみたい!没頭したい!!という方におすすめしたのが、太宰治の書いた『斜陽』という小説です。クリムト作品を思う時、個人的には常にこの斜陽のイメージが頭にあります。

太宰治の斜陽は、もちろん日本の話で没落貴族の娘が主人公です。お金持ちで貴族だった家がどんどん没落していく様子を描いています。そしてそれに抗うように恋愛をしていく主人公って感じですね。ごめんなさい説明が悪くて想像しにくいかもしれません。暗い話ではあるんですが、貧しくなる中にも貴族としてのプライドとか優雅さに現れる「貴族の精神」や、「恋の革命」をして貴族の心を捨てようとする主人公の葛藤が描かれています。

この、貴族として終わっていくんだけど最後まで凛とした心だったりとか、恋愛でそれを打破しようとして一人の男に落ちていく姿とか、すごーーくクリムトの時代背景や肖像画の貴婦人たちに感情移入できるんですよね。モデルはクリムトの子供を産んだりしてるので恋愛関係はあったと思いますし、画家に恋する没落貴族…めちゃくちゃハマってると思います。

ちなみに椎名林檎の方が想像しやすいかなと思って最初に挙げたんですが、椎名林檎というか東京事変の『落日』という曲も連想しちゃうんですよね。それはこの斜陽というタイトルもそうですし、日が落ちる直前の儚さとか光を連想しちゃうのかなーと思ってます。

絵を見る時に「こいつはこれだな~!」ってイメージできるものがあると何倍にも膨らんで楽しめるので、もっともっとクリムト吸いたい!って人は斜陽を一読してみてください!

終わります!!

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